二分法は下らない

物事を二つだけで区切らないで。
SとMとか。
メタルとメタル以外とか。
俺と俺以外とか。
訓練された地理オタと訓練されてない地理オタとか。


完全にレトリックだよね。
二つな訳ないのにね。
無限だもんね。
そ、無限。


「馬鹿」と「天才」の隙間とか向こうには、
「アホ」とか
「ちょっと馬鹿」とか
「偏差値40代前半」とか
「うんこ」とか
「知恵遅れ」とか
「気狂い」とか
「脳に著しい障害がある」とか
「脳足りん」とか
「TOEIC900以上」とか
「年収1000万円以上」とかいろいろある訳で。


二分法が流行ると、
思考が二分法に近くなる。
視点や各人が思うことは様々なのにもかかわらず、
二つしか存在してないかのように感じてしまう。
例えば「私を信用してる」か「信用してない」か、
の二つしかないかのように。


実際は「ちょこっと信用してる」とか
「場合によっては信用に足る」とか
「そもそも俺は全ての人間を信用してないからある意味平等ですよ」とか、
色んな考えがあるのに、二分法がはびこるせいで
「Yes」「No」の二択しかないみたいに感じてしまう。


日本語は曖昧だ。
曖昧さは、思考の多さ、
微妙なニュアンスを表現できる懐の大きさの証左だ。


「はい/いいえ」


「サディスト/マゾヒスト」


「ちんこ/まんこ」


こういうくくりは、
やめようよ。両性具有とか、どうなるの?
時々いじめたくなって、時々いじめられたくなる人はどうするの?
二つしかない訳ない、
三つも四つも、無限に色々あるから、十人十色。
二つしかないと思いこむのは視野狭窄
あまり関係ないけど、視野狭窄島耕作は語感が似ている。


とりあえず、
「『積極的』の対義語はぁ〜??」
とかいう質問に昔から慣れすぎてて、
人々は積極的か消極的か、の二種類しかいないみたいに思えるけど、
みんな積極的だし消極的だよ。
みんなだよ。
だから、こういう「極端」を表す表現は出来るだけ無視した方がいいんだ。